※冒頭の画像は関係ありません
人生を生きる上で、一緒に歩く人の話なんですがね。ほんわかしたたとえ話になっちゃいますけど。
一緒に歩く人って人生でたくさんいると思いますが、個人的には『自分より少し早く歩く人』と一緒に生活すると自分も緩やかに成長出来ると思うのですよ。もちろん、自分と同じ速度で歩く人と一緒にいるとすこぶる快適なんですよね。ただ、そこから成長する気力にはなりにくい、と。
では速ければいいかというとそういうわけでもなく。すべての能力において自分よりも圧倒的に優れてる人と一緒にいると「自分には無理なんだ」と諦めてしまうことも多々あるわけで。あくまでも自分よりもちょっと足が速いぐらい、つまり「ちょっと頑張ると相手と同じぐらいの早さで歩き続けることができる」程度の速さが重要なんだなと思うんです。
前述のはたとえ話ですから、歩くという点だけでで評価していますが、実際にはいろいろな評価軸があるわけです。たとえば料理を作る能力とか。たとえばExcelでなんやかんやする能力とか。たとえば部屋を整理整頓する能力とか。たとえば他人と交渉をする能力とか。
全ての能力が高いという人はほとんどいないですよね。基本的にパラメータのバランスみたいなもんですから。仕事が得意な人でも家事が出来なかったり。交渉能力が高くてもExcelが全然使えなかったり。そういうのを互いに補うことで一人じゃ難しくてもいい感じに生活できるわけです。
もちろん、「自分ができない部分は完全に頼り切る」という生活でもアリだと思います。しかし、ずっと頼り切ることができない場合が殆どなので、特化できないとしてもある程度の能力は持っておくに越したことがないです。仕事ばかりで家事を疎かにしてたら妻が居なくなったときに大変なことになった、とか。
相手のほうが能力がものすごく特化している、とかの場合は教わることになる場合が多いのですが。ともに弱い部分を補いつつも一緒に成長する、ということを考えると、「ちょっと頑張れば大丈夫かも」というモチベーションを保ち続けることは重要だと思います。
そんなわけで、誰かと一緒に生きる場合、なるべく同じぐらいの能力で、なおかつ自分よりもちょっとすぐれている部分を持つ(冒頭の例で言うと足が速い)人と一緒に生きる事が出来たら。きっと幸せになれるんじゃないかな、と。
【この記事で本当に言いたかったこと】
足が早い食材を買ったら自炊するようになった。