震災発生1か月後に岩手の実家に帰ったときの思い出

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どうも、くちばしです。

震災から5年が経過しましたね。当時は岩手に住んでたので震災の影響をもろに受けて結構大変でした。

さて、タイトルについて。「震災が発生して1か月後ぐらいにようやく実家に帰省したらめっちゃビビった」みたいな記事を昔書いたんですが、消してしまったのでもう一度載せてみようと思います。今は5年も経過したのでだいぶ変わっているとは思いますが、「当時はこんなんだったんだなー」と参考にする程度ですけど。

当時は一気に書くのが面倒だったので2回に分けて書いてましたが2回分まとめて掲載。だいたい3000文字ぐらい。

【2011/4/18】

やっと帰省しました。震災が起こって1ヶ月ぐらい経ったころに帰省しようと思ったら大きめの余震が来たので帰宅し損ねてたんですよ。地震から1ヶ月以上経過してからです。

ニュースでは津波の被害にあったとのことでした。ところが、自分の家は全く被害を受けてないので今ひとつ現実感が無かったのです。実際に帰宅してみると何も被害を受けていませんでした。海抜16メートル、海から1km未満ですよ。高台にある&堤防が割りと新しいってのが理由だとは思うんですが、かなり運がよかったんじゃないかと思います。

実家に帰ったら婆さんから「街中はかなりひどいよ」と言われたので物見遊山で行ってみました。とりあえず小学校までの通学路を車で走ってみました。国道を外れて街中に入ると、壁に『4月n日解体OK』とスプレーで書かれた建物がちらほら。小学校の頃によく利用した本屋やスーパーも直径2mぐらいの鉄球でもぶつけられたんじゃねーかってぐらい壊れてました。

そのままゆっくりと通学路を進み、ちらっと海側を見たら。

街が消えてました。

祭りのコースとか。銀行とか。住宅とか。そういうのが全然なくなって瓦礫が広がってました。海が見えないはずなのに見えちゃうんですよ。

通学路は割りと広い道路(片側1車線の合計2車線)を歩くんですが、その道路が左右でくっきり分かれてました。海側は瓦礫、山側は破壊された建物。

震災から1ヶ月経ったものの、未だに瓦礫が撤去されず、あちこちで瓦礫の掃除をしている人が。村を適当に回ったのですが、散らかってる瓦礫のほかに積み上げられた瓦礫の山が3箇所ほどあるんですよ。それぞれ野球グラウンド2・3個分の面積。野球グラウンド2・3個分の瓦礫の山が3箇所ほどあって、尚且つ未だに瓦礫が散らばってるわけですよ。

……え、大丈夫なの。まじで。

 

今までは瓦礫の山は写真でしか見てなかったので、地元ではありながら他人事だったんですよ。しかし実際に戻ってみるとすげぇビビる。俺の住んでた村がなくなってるんですよ。5000人も居なかった村なのに、300棟以上が全壊してんですよ。村の中心部ともいえる商店街が消えてんですよ。

奇跡的にも助かったけれど、思い出とか色々が全部壊れたってのはなかなか精神的にくるものがありました。高さ12mの防波堤を飛び越えた衝撃は思いのほか酷かった……。

45号を南下するときの話は次回にでも。

 

【2011/4/28】

さて。帰省から戻るときの話。ここからの話は2011年4月中旬の話と考えてください。それから2週間ぐらい経ってるのでだいぶ状況は変わって……ないかも……。

国道45号線というのは宮城県仙台市から青森県青森市まで続く長い国道で、宮城北部の沿岸からずーっと沿岸を通り、青森県八戸市あたりまで沿岸を通っています。リアス式海岸に沿っているように曲がりくねりつつ沿岸市町村を通る重要な道路。

岩手内陸南部から岩手沿岸北部に行く場合、東京から青森まで内陸をずーっと通ってる国道4号を北上してから途中で沿岸に進むか、最初から沿岸に進んで、国道45号を北上するかの2種類に分かれます。今回、行きは4号ルートを進んで帰りは45号ルートを通ることにしました。

岩手県の沿岸はリアス式海岸と呼ばれる入り組んだ海岸線になっています。地図を見れば分かりますがギザギザした沿岸なんですよね。おまけに崖が多い。なので、沿岸にそった山道を進む国道45号は非常にカーブが多くなっています。頭文字Dかよというぐらい。しかしそのぶん海を見ることが出来る場所が多く、崖の上から水平線を楽しみながらのんびりと走ることが出来ます。

 

さて。先ほどの説明の通り、リアス式海岸は崖が多いのです。なので、海沿いでありながら海抜がとても高かったりする場所が多い。友人が海から直線距離で数十メートルのところに住んでたので大丈夫かなぁと思いながら南下したら港は破壊されてるけど家が無事という妙な状態で笑ったりしました。

というように、同じ沿岸部でも崖の上だから無事という場所が多いんですよ。自分の住んでた村も街中が壊滅した一方で海からすぐ近くの崖の上にあった家が無事だったりしました。

 

ところで。国道45号線を南下していると『津波浸水想定区域』っていう看板がちらほら見えます。三陸大津波というのが何十年か前に来たらしいのでその辺のデータとかを元に作ったと思われる看板だと思うんですが。

今では「この先瓦礫地域です」っていう予告になってます。

山道を走ってて海を横目に見ながらのんびりと走ってると唐突に出てくる『津波浸水想定区域』の看板。最初は「あー、こういう看板あったなぁ」とか思いながら進んでたんですが、数分後に広がる瓦礫の山。テレビとかで見るアレが間近にあるってのはかなりビビります。

広がる瓦礫。かろうじて骨組みだけ残ってる鉄骨の建物(主に薬王堂(なんでこんなに薬王堂が多いんだ))。「あ、あの家は比較的無事じゃないか」と思ったらどっかから運ばれてきた2階部分だったり。かろうじて残っていた建物のドアに「○○避難所に居ます」っていう手書きの貼り紙が貼ってあったり、『4月3日 解体OK』ってスプレーで書かれた文字があったり。

岩手沿岸を南下していくと被害が広がってるのが確実に分かるんですよね。宮古市あたりだと国道を走るときに遠くに生き残ってる住宅が見えるんですが、そこからさらに南下した大船渡市だと更に遠くまで被害を受けてて。もっと南下した陸前高田市だと45号から肉眼で見える地域に無事な家はありませんでした。ちなみに宮古市は未だ(4月中旬当時)停電中だったらしく、交差点では警察が手旗信号で誘導していました。

 

実家を出発したのが14時ごろだったせいで、陸前高田市に到着する頃には真っ暗になってしまいました。田舎道も夜には何もなくて真っ暗なのですが、瓦礫地域の暗闇はそれとは異質。車のライトでわずかに照らされる場所には瓦礫と中途半端に残った建物のみ。ゴーストタウンなんてもんじゃない。PS2のゲームでももう少しちゃんと作りこまれてるだろってぐらい建物が少ない。

建物が無いという状態だと明かりが無いのが納得できるのですが、建物が中途半端に残っていると恐怖感が倍増。見渡す限り瓦礫で標識もまともに残ってないので、どう走っていいかもわからないぐらい。廃墟を更に進展させたような風景が広がってるので幽霊が百鬼夜行しててもおかしくないぐらいの怖さですよ。

 

というわけで岩手北部から南下したルートのおかげで被害が徐々に広がっていく様子が見えました。時間はかかりますが今だけ楽しめる瓦礫見学ツアー。国道45号は陸前高田で通行止めになってます(橋が破壊されている)が、GWに行ってみるのはいかがでしょうか?

というオチで終わらせようと思ってたら【渋滞が被災地悩ます 県内、復旧作業に支障の懸念】というニュース魚拓)が。考えることは同じか……。

 


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