『梅の公園』のラストチャンス(仮)に行ってきた(前編)

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東京都青梅市に『梅の公園』という場所があるのですが、それが今年でラスト(正確には数十年見られなくなる)ということをNHKのニュースで知り、せっかくだからと行ってみました。

なお、梅の公園は3月末で終了し、4月から見られなくなるとのこと。これを書いてる時点では終了済みです。

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実家が遠い

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※冒頭の画像は本文と関係ありません。

もうすぐ春の大型連休ですね(NHK的表現)

個人的に盆暮れ正月は実家に帰りたくない(コミケがあるから)ので毎年春に帰るのが定番になってまして。自分の場合都会から田舎への移動なのでどうしても混んでるのですが、盆暮れ正月も同じようなもんですし。

ただ、自分が生まれたのが地方なのでどうしても時間がかかるのが難点。四国や九州ほど遠くはありませんが、それでも帰るのに6時間ぐらいかかっちゃうんですよね。

そして金額もかなりかかる。片道で1.7万ですからね。実家をに行って戻るだけで3.5万近く吹っ飛ぶわけです。ボードゲームが3つぐらい買えるよ!

 

金がカツカツになってしまってようやく貯金に目覚め始めたお年頃なのですが、新幹線ではなくて他のルートもあるのではないか? と思って。早速検索。

確かに、新幹線を使わずに鈍行(いわゆる在来線)で行ったら片道3000円ぐらい安くなるのですが。

12時間もかかるんですよね。

ちなみに、夜行バスを使っても終点駅から実家の最寄駅まで2時間半。空路でも最寄りの空港から3時間。

自分の生まれ育った県が『陸の沖縄』とか言われてた理由がなんとなく分かりました……。

 

年を取るということ

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※冒頭の画像は本文と関係ありません。

自分の誕生日にはまだ遠いのですが、自分の人生のライフプランというのをふと考えるようになりまして。言い換えると、「これからどういう人生を送りたいか」ってことですね。

自分の給料はそれほど高いわけではなく、これから上昇し続けるということも考えられないので、どうしても「如何に現状維持するか」だけを考えていたのですが。よく考えてみると、現状維持よりも進展していかなければいけないのではないだろうか、とも思いまして。

例えるなら会社での出世とか。

例えるなら結婚とか。

例えるなら育児とか。

そういうことを着実に積み重ねていって、ある程度落ち着きつつも情熱を持ち続けることが必要なんじゃないかなぁと思ったわけです。

 

「どうせ結婚できないんだし。そもそも現状維持でいっぱいいっぱいだよぅ」という気持ちには変わりないのですが、現状維持のままであと数十年経過して、自分の中で何も変わらないというのは良いことなのだろうか、とすごく思ってしまったのですよ。

絶対に変わらなきゃいけないわけではないものの、何も変わらずに生きるということは、すなわち「良いことと悪いことを受け止めて成長する」ということを全くしていない、と思われるのではないか、と。

20歳でも30歳でも40歳でも、それまで生きてきた人生があって、その中で仕事や趣味やプライベートなどでいろいろ影響を受けて、それを踏まえて自分なりに変化するのが人生なんじゃないかな、と。

その結果として分かりやすいのが収入の変化だったり家庭環境の変化だったりするんじゃないかな、と。

だからこそ世間一般では結婚とか出世といった『分かりやすい成長した証拠』を持ってることを評価するんじゃないでしょうか。

 

ということを27年弱生きてきてようやく気付きました。遅い。

 

もっとも、気づいたからといって、出世や結婚ができるかどうかはまた別問題なのですけれども。変化せずに年を取るということがどう思われるのかというのを踏まえて、人生を設計することが重要なんじゃないかと思います。

 

ちなみに、上記の考えに至った原因は、会社の人の家に行くことになったものの、ちょっと貧乏な大学生が住んでそうな部屋で、大学生のような散らかった部屋でして。その人の普段の言動がやたらとテンパってて落ち着きが無くて。若々しく見えるというよりも幼く見えるといった感じで。

自分が年を取った時に同じような状況だったとして、果たしてどう思われるのか、ということを考えちゃったんですよね。

ようやく3年か。

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※冒頭の画像は関係ありません。

震災から3年が経過しましたね。

自分は当時、岩手に住んでて仕事中でした。揺れてる最中は問題なかったものの、そこから数日間インフラがストップしてたのが印象に残ってます。

歩いて行ける距離のスーパーでは商品がほとんどなくなり、お菓子でカロリーを摂取してた記憶があります。といっても、寮生活だったのであまり問題なかったのですが。

ポメラでサイト更新用の文章を書いてたり、昼間が暇だったから本をたくさん読んだり。職場は工場だったんでいろんな機械がズレたりして業者の配備で大変だったようですが。

まぁ、もうそこから転職しちゃったんですけど。

 

実家は沿岸に住んでてかろうじて無事だったものの、村の繁華街が壊滅状態で、物見遊山で帰省したら通学路の見通しが良すぎてびっくりしました。

 

などと思い出話をしても仕方ないのですが。まだたったの3年なんですよね。

今のところ、瓦礫は撤去されたものの街づくりの計画が進んでないのが現状のようで。たとえば、昔のように無造作に家を建ててもいいのかとか、津波対策用の堤防はどうするべきか(絶対に乗り越えないと言われていた堤防を乗り越えてしまったため)とか、津波で壊れた建物をモニュメントとして残すべきか(いわゆる震災遺構)どうか、とか。

そもそも、復興と言っても東北の太平洋側沿岸って基本的に漁業や農林業といった第一次産業がメインで、じゃあそれができない状態だったらどうやって元に戻るの、とか、そもそも船や農業機械を復旧させるお金はどこから来るの?とか。

それでも生きていかざるを得ないし、住み慣れた場所を簡単に離れるのも難しいのですよね。特に所帯を持った世代だと。

自分は若いから転職しちゃいましたけど、結婚して子供が出来てたらそんなことできなかったでしょうし。